教会法に取り組む神父
きょうげつさんは、教会法の神父と組んでいるみたいですし今後の
動向が気になりますね。ただし、最近の彼女は下手に動かず計画的に
やっている気がしますけどね。心打つ話ばかりで、これこそ
シモーヌ・ヴェイユだなと思います。僕はきょうげつくりすさんを
(ChrisKyogetu)尊敬していますよそのへんの神父より。
大阪梅田教会の極左活動
聞いて聞いて。まだ山上容疑者の公判ですら始まってないのに、安倍首相事件持ち出して、論理を飛躍させて洗脳に対して天皇制までこじつけているキリスト教教会があるよ。プロテスタント牧師の公演なのにカトリック教会が場所を貸しているよ。金に目が眩んだんだねhttps://t.co/cDdhj6Nw8u
— 楽しく生きよう (@Doronpa_Q) 2023年2月23日
興味深い記事を見つけた
君が代強制反対キリスト者の集い大阪11th 統一教会と思想・信教の自由
ブックマーク2022/07/18
ChrisKyogetuさんの過去の記事が現代を象徴しているようだった
私刑による魂・善悪に囚われない意識
読んだ当時はふーん、難しい話だなぐらいだったのですが、今回の安倍元首相殺害事件
の後に読むとそのことを先の学者が分析したような話だった。
自分の告白文を拾われるかどうか分からないのに瓶に入れて投げ捨てた、魂の確かめ方はこのような事もある。それが「私刑」の末路である。
「私刑」それは虐げられた、消される魂の承認欲求である。
犯人の手紙が、#そして誰もいなくなった
の犯人と思われる人間の手紙が偶然拾われたことを思い出させた。
犯人はアガサクリスティを読んでいた?
ChrisKyogetuさんは、過去にもジョーカーの論評でも意味深な発言を
多く連発している。
結局のところ、目の前にいるアーサーに手を伸ばせる人間は少ない。
お面を被って、母体は何処へ行くのか分からない。この、水面下へ悪の根幹が潜っていく様子が21世紀の悪のように思えた。
例えばノブレス・オブリージュ、それは聖書の教えから来ているが、社会的地位がある者の責任とは「私刑」だろうか? 報われない事に関して最高の刑は「私刑」である。それとも平和的に済むのだろうか。この残酷性に世界が目覚める日がくるのかもしれない。
私刑が流行る、と彼女は何処かで書いていた。(現在は削除済み)
当時、Kyogetuさんが誰に向けて書かれていたのかは明確に分からない。やはり彼女が戦ったのはカトリックの司祭なのか? 彼女は2018年の自殺未遂以前のテーマだったシモーヌ・ヴェイユや文学性に戻っている。文章も出版作の力量に戻ろうとし、それを越えようとしているのを実感する。けど冷静に悪を掘り下げる姿はそのまま続けてほしい。
こちらはブックマークがてらに書きました。